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鎌倉市の材木座海岸を散歩中、砂に書いたラブレターを発見し撮影しました。 字もしっかりとしているし「育子」というお名前、そして敬称も付けられていたので、若い世代ではないような気がしています。 そしてこの砂に書いたラブレターには、次のような物語がありました。*あくまでも想像です。                      ◇ 戦争時、女学生だった育子には、誰にも内緒で結婚の約束をした男性がいました。しかし戦火の波は、そんな二人にも押し寄せてきました。彼に召集令状が届いたのです。 「必ず帰ってくるから待ってて欲しい」 そう言い遺し戦場に向かった彼を、戦争中、一途にずっと待ち続ける育子でした。 しかし二人の約束を知らない育子の親は、財産持ちの遠縁との縁談を進めます。そして育子は、親に言われるがままに結婚させられてしまいました。当時は、親に背く事なんて出来ない時代でした。 ところが育子の夫は、家庭を顧みることもなく遊び回り、直ぐに身上をつぶし行方不明になってしまいます。そして戦火はますます厳しくなり、幼子を抱えた育子は戦火をのがれようと逃げ惑いました。 戦後も女手一つで子供を育て必死に生きる育子。貧しいながらもどんな仕事にも嫌な顔をせず働き続けます。 そんなある日、町で戦争によって離ればなれになった許嫁を見かけます。彼は生きていたのです。思わず駆け寄りそうになる育子でしたが、彼を待つことなく嫁いだ後ろめたさもあり、彼を避けてしまいます。 その後も社会の片隅でひっそりと生きる育子。 子供も無事成長し、家庭を持ち家を出て行きました。 一人の生活が始まって少し経ったころ、育子は身体の異変に気付きます。そして直ぐに医者に掛かったのですが、末期の癌であることが判明。余命半年と告げられます。 病床で過去を思い出す育子。戦争で別れてしまった彼への想いは募ります。しかし同時に、裏切ってしまった自分を責め続けます。 そして一年後、育子はひっそりと息を引き取りました。 一方、許嫁だった彼は、育子のことが忘れられずずっと独りでいました。そして風の噂で育子の死を知ります。 時は流れ、人生の終焉を迎えた彼は、二人で過ごした思い出の鎌倉の海を訪れます。 そして砂に、最後のラブレターを書きました。 「育子さん、愛してます」 そのラブレターも、打ち寄せられた波によってかき消されてしまいました。

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